1. 私と根付
  2. 「根付起源」の考え方
  3. 根付の隆盛期
  4. 実用上の根付
  5. 象牙だけが根付?
1)私と根付


・出会い
 私は、サラリーマン。総務人事畑を一直線。ちょうど15年の歳月が過ぎ、サラリーマンとしての折り返し地点もそろそろ、家族も仕事も充実していた頃、生涯無理なく出来る趣味は無い物かと、暇さえあれば考えておりました。根付との出会いもこの頃と記憶しております。しかも、出会いは米軍基地の中でした。以前より刀剣に興味があり、しばしば博物館に行ったり、店を覗いたり。しかし、そうそう手に入る物では有りません。そんな時、抜刀の稽古に通っていた私は、そこの先生にお誘い頂き、神奈川県相模原市にある米軍基地内にお花見に出掛けました。そのパーティのホスト以外は皆日本人でしたが、その中のひとりの方が、しきりに掌の中のものを触っていました。近づいてみると、そう、それが根付だったのです。実際に自分の掌の中に収めてみるとそれは、拓植の木で彫られた極小微細な根来の幇間根付で、江戸後期はあるとおしゃっておりました。私は、なんとも言い知れぬ感動を受けました。その後、それを譲って頂き、現在では、同じ根付を6個集めている収集家でもあります。

・根付の収集
 根付に出会ってからと言うもの、日を追う毎に根付の魅力に惹かれていく自分を感じました。図書館や本屋に行っても手に取る書物は、「根付」に関する物ばかり。家族サービスと称し、幼い子等を引き連れて骨董店や骨董市にも出掛けました。

・退 職
 そして数年後には、相当数の古根付を収集。以前から、定年になった折には骨董店を始めようと、家内に持ちかけておりました。ある日、「待てよ。60才を過ぎてからの開店では、気力・体力が持つかどうか。」と、考えました。また、店を開かずして、「このまま一生を終えるときに悔いが残るのではないか」とも思いました。平成11年初秋、退職。

・開 店
 板橋に4.75坪という小さな念願の骨董店を平成12年4月に開業。


・・・・屋号「根付屋 篠久」

ページトップに戻る

 2)「根付起源」の考え方

残念なことに確かな記録は、無いと言って良いと思います。
一般的には、伝説・絵本・絵巻物・童話等によって、時代推察されております。
その時代は、すでに美意識が芽生えている作品が多い為、その頃を起源と断定している方がいらっしゃいますが、私は違うと思います。
提げ物(さげもの)で、代表的な物として、印籠や煙草入れの他、巾着(きんちゃく)や火打ち袋・水筒・腰提げ食器・鍵等に根付を着けることは、相当古くから行われていたと思います。
私は、学者では有りませんので、確実なことは言えませんが、考えるに少なくとも日本の着物文化発生直後の平民層が必要性を感じつつ、かつ、試行錯誤した結果として、実用本位の素朴な根付が、自然発生的に誕生したのでしょう。

ページトップに戻る


 3)根付の隆盛期

ご承知の通り、私も江戸中期から後期ぐらいまでと考えておりますが、古根付と呼ばれる物で良い根付は、大正位まで有りましたし、現代根付師の作品の中にも素晴らしい物は、沢山有ります。
寛文、天和(1661〜1683)頃、印籠や巾着を提げることが多くなり、その為、根付も需要が増えました。
その後、忠臣蔵の討ち入りでお馴染みの元禄(1688)の頃になりますと、時代的には、お上からの規制も緩和され、大変穏やかな時期となりました。
よって、武士も町人も印籠などを用い始め、意匠・質などの向上がなされると供に、副業として仏師や面師・金工師・蒔絵師などが根付製作に参入し始めました。
そして、この頃から美術的な作品が現れるようになり、享保(1716)頃より、煙草入れが流行し始め、根付の需要はついに全盛期となります。

ページトップに戻る


 4)実用上の根付      

・4cmから、せいぜい6cm位の大きさで、引っ掛かったり欠けたりしない丸味のある物。

・6面体で、どこから見ても細工が施されている立体的な物。

・通しの穴が有り、身に着けた時に一番素晴らしい状態になるように、穴の位置を考え、工夫された物。

※ 最高根付は、上記の他に彫・意匠・粋・材質などこれらが加味された物。
 それらは、「素晴らしい」の一語につきます。

ページトップに戻る


 5)象牙だけが根付?

来店される方の中に、『根付とは・・・? 小さくて、象牙で出来ていている物』とおっしゃられる方が、いらっしゃいますが、さまざまな材質があり、木・金属・陶磁など数え上げればきりがありません。
また、木にさまざまな異質材料を用いて製作された物などもあります。
むしろ、象牙以外の物の方が、コレクションとして面白いかもしれません。